海軍軍縮条約としてのクールビズ

たとえクールビズでも、営業は「半袖シャツ」を着ないほうがいい(横山 信弘) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yokoyamanobuhiro/20140624-00036688/
こんな記事が上がっていた
アドホックには”正しい”けど、だからこそ許されざる話なのだ。末尾に「あくまでも」と注釈があるが、そういう問題ではない。

クールビスは海軍軍縮条約であるという例え話というか仮説をしよう。
提督勢には説明の必要はないが、とりあえず雑な解説をば
戦艦とかは大きければ大きいほど、より大きな大砲も積めるし、そうすれば威力も上がるし射程も伸ばせるし、装甲も強固に出来る。なので敵よりも少しでも大きな戦艦を作れば、敵の戦艦の射程外から一方的に攻撃できる。逆に言うと、敵が自国の戦艦よりも大きな戦艦を作ってしまえば、こっちの戦力は無効化されてしまう、ということになる。
何が起こるかというとご想像の通り、各国ともこぞってより大きな戦艦を作ろうとしたが、もう国家財政が持たない、ということになった。なので軍縮条約を結んでお互いにこれ以上は作らない、という制限を行ったのである。

クールビズも同じような話で、ライバルの他社に比べて、あるいは取引先に対して失礼に当たらないように、夏でも重装備になっていった。いくら努力しても、軽装だから取引が進まないなら無駄だ、というあたり、射程外から殴られるより小さな戦艦みたいな話である。
しかし暑いし電気代の無駄である。個人個人の努力が、企業同士の努力が、資源の浪費を招く、という合成の誤謬に近い話になってしまった。で、お互いにもうやめようと、とは内心は思っていたが、自分からは言い出せない。
軍縮条約だと戦艦を持てる国同士での手打ちであったが、クールビズの場合には政府が音頭を取って行った。これにより公務員が従い、CSRにうるさい大企業が従い、社会全体を拘束するルールとなっていった。オイルショック省エネルックに比べても、うまくいったのは知ってか知らずかこういう構造があると思う。

じゃあこの記事の主張を海軍軍縮条約に喩えるとどういうことか。
「条約に参加してる国の戦艦を出し抜いて戦争に勝つために、巨大戦艦を作ろう」
あっ、条約破棄して制限なき軍艦建造競争に戻っちゃうわな。
それどころか、条約から抜けられない国に新型戦艦作って一方的に攻撃してるようなもんである。
これは許されざる話だわな
例え見苦しいとは思っても、このルールに参加し続けるしかないし、そこで厚着をして有利な立場になろうという発想は道徳的に劣った考えなのだ。また取引先がそういう風にして媚びようとするなら、敢然とたたき出すべきなのだ。

もし、営業マンは厚着をしてれば失礼に当たらないし成績も上がるというなら、ある会社は夏でも防寒具を羽織るだろうし、それに対抗する他社はその防寒具をより分厚いものにするだろう。あげくに顧客の前でフトンを被って熱々の鍋焼きうどんを啜りはじめることになる。

個々の努力や競争が社会をよりよい方向に進歩させる、という前提だけを考えていればいい時代は終わった。資源は枯渇し災害は増え、あるいは労働力も減少していく中において、いかに制約された資源で効率良く読みを生み出すのか、ということが問われる時代である。最終的に生み出される富の総和を増やすことに寄与しない努力は排撃の対象になる時代がすぐそこまで来ている。
高度防災国家におけるエクストリーム出社の是非 - よりぬき障害報告@はてな
http://d.hatena.ne.jp/lm700j/20131024

また鉄道ファンの立場からも是非とも指摘しておきたいことがある。
通勤電車の冷房化は昭和50年代くらいまでは各社とも最重要課題であった。天井に1トン近い冷房装置を設置するためには車体や台車の強化も必要であり、架線から供給される直流1500Vをサービス電源用の交流に変換する装置も、これまでの照明や扇風機程度の小さなものから、冷房を動かせる大容量のものへの換装も必須であった。
昭和50年代には、昭和40年代製の中堅クラスの車両の冷房改造とともに、車体用の軽量化などもあって冷房改造が割に合わなかった昭和30年代の初期の高性能車を置き換えるべく冷房付きの新型車の大量投入を行った。
各社とも都心のターミナルに乗り入れる車両の冷房化を達成したのは、昭和50年代から昭和60年とかの段階であった。また冷房機の廃熱によるトンネル内の温度の上昇を危惧した地下鉄において、省エネ車両への置き換えを伴った冷房化は平成に入ってであった。営団地下鉄が非冷房車を最終的に淘汰したのは平成7年の丸ノ内線の支線部においてである。
となると、クールビズに反対する向きのビジネスマナーというのが、通勤電車が非冷房であった時期に成立していたとは思えない。実際、その時代のニュース映像だと通勤電車で熨斗烏賊になってるサラリーマンはみんな半袖なり開襟シャツとかである。夏でもスーツを、というのは平成に入って可能になったと考えられるわけである。だとすれば、通勤電車の冷房化というイノベーションによって、エアコン付きの専用車で送り迎えされている重役連のマネが出来るようになった、とも考えられるわけである。だから、半袖でネクタイなしでも見苦しくならないシャツが、というイノベーションにみんな飛びついたんじゃ・・・。時代は繰り返すのであった

普通の人がパソコンを自作はせずに、完成品を購入するように、大多数のビジネスマンにとってスーツがどうの、というのも時間や手間を賭けたいとは思わないわけである。どうせ大多数に定見はないし、気候的に違う地域の習俗をまねたところで始まらない、というホンネが吹き出したというのもまた一つのクールビズの側面ではなかろうか。