ギグエコノミー・シェア経済という限界費用型デフレ

ウーバーイーツの配達員が労組を結成したというニュースがあり、それに対して意識高い系が批判的な発言をしていた。確かに消費者や暇々に小遣い稼ぎをしたい人にとっては不利益な話なのかもしれない。

本業があって、空き時間に稼ぎたい人にとっては、上がりがまるまる小遣いになるわけで、採算ラインは低い。本業の側で家賃食費やら社会保険料を賄っていて、可処分所得の中から趣味として自転車を買っているなら、暇つぶしに対価が得られるだけでもまるもうけだし、ダイエットのための運動って感じなら、お金なんか貰わなくてもいいかもしれない。

しかし本業で配達員をやる労働者にとっては、給与は家賃・食費やらの生活費、社会保険料、再生産としての子育てのコスト、仕事道具のメンテコストに加えて老朽置き換え用の償却費的なコストもかかってくる。なので採算ラインはずっと高い。

社会にあるヒマをあつめることで成立するいうギグエノコミーであるが、ガソリン代+お小遣い分さえ出れば良い手持ちの車でやるシェアライドが、車両コストとドライバーの人生のコストがかかってるタクシーを圧迫している。ただシェアライドも競争が激しくなると、いい車を買い手入れをする必要があり、タクシーのコストに近づいていく。シェアライドのドライバーは、タクシーが滅びて小遣いレベルに切り下げられた収入から人生と車両のコストを負担することになり破局するのである。ウーバーのような運営会社も右から左にお金が流れていくだけなので、労働需給逼迫を反映させた価格に値上げをして、ワガママな消費者からブーイングを浴びるか、同業他社とカルテルを組んで値上げするか、タクシー配車サービスに切り替えるか、しか選択肢がない。

このような問題を我々はすでに体験している。バスの自由化がそれである。

バスの自由化で起きたことは大会社のドライバーが独立して中古車を買って家族経営をするという流れであった。この場合、大会社が負担しているバスの更新費用やドライバーの教育費用、安全対策費用は当座は負担をしなくてもいい。最初はそこで発生したのが買いたたきであり、燃料代と飢え死にしない程度の人件費に価格が切り下がってしまった。

ちょうど2代目エアロバスが1992年、初代セレガが1990年に登場しており、規制緩和された2000年代初頭の時点では経年は10年程度で現行車種でもあり、見劣りすることはなく、また部品の調達も問題が無いので延命が可能であった。市場が拡大するが、拡大分に見合った新造数ではなく、また置き換えが進まなくなり車両の年齢は伸びていった。

ドライバーにとっても、待遇が悪化したり、若手を育成する余裕がなくなり、高齢化が進んでいった。しかしまあ人は老けなくなったところもあり、10年くらいは延命によってリプレイス分のコストが回避出来たので、限界費用的な価格でもなんとか回っていたのである。何しろ客はツアーバス比較サイトで最安値を探すだけで、サービスの本質的な品質を見ることはないし、多段口入れ屋のおかげでそういうところは全て隠蔽されているので、差別化も不可能であった。悪貨は良貨を駆逐する、のように、全てのコスト(+不採算虫の息ローカル路線への内部補助)がかかっている正規の高速バスを淘汰した。

そして10年ちょいたった時には、90年代初頭から酷使され朽ちたバス、若手が入らず疲弊した高齢ドライバーだけが残っていた。制度改革で高速バスへの統合があったり、安全面での規制強化で限界費用的価格で受けるプレーヤーを排除したり、インバウンド需要で値上げが可能になったりした。しかし、育成にコストが回らなかったドライバーの不足は解消されず、需要の落ち込みを懸念したメーカーは生産力向上をあまりせず車両のリプレイスも進まなくなっている。自動運転・AMT化で強制的にリプレイスが進むようになって状況は改善されたが。

 

で、配達員の話に戻るけど、ギルドとしての労組が要求する形でフルコストを条件として飲ませた上に、国が限界費用で受けるようなサービスを圧殺するようにしないと、これらの問題は解消されない。

1円でも安いサービスを求めるワガママな消費者たる我々であるが、限界費用型サービスに負けて失業するかもしれないし、安全レベルの低い労働者に公道で轢かれるかもしれない。だったら、適切な価格水準でのサービスだけが残るように労組によるギルド化や不良プレーヤー・不良企業の排除に賛同すべきではないのかね。

 

イノベーションは大事だけど、人権や人生でさえ限界費用まで買いたたくような結末を望んではいないはずなのだが。