政局ネタも政治記者もキショい 自覚してる?

読売と毎日が勝手に石破総理の退任とかの記事を書いて炎上してて、さらにぐちゃぐちゃと政局ネタを続けている。

国民の思いとしては、政局とかはどうでもよくて適切な政策をしてほしい、ということしかない。でも、実際には多様な思いの国民同士の利害を代表する政治家同士の交渉で話が決まる。しかも、多数決というよりも、複数の政策をパッケージにしてる政党同士の交渉でもあるし、政党内部でもパッケージに政策を組み込むには交渉がある。

田中角栄は、過半数を握っている与党の、過半数を抑えている派閥の、過半数の議員を押さえておけば総理になれる、といったそうだし、ナチスドイツも、選挙で圧勝したとはいいきれず、多党連立の中で、票数以上に強い力を握って増長したって話もある。
そういう単純な多数決や比例ではなく、多段階のやり取りで政策ができる、というのが議会制民主主義の構造である。なので政治家同士の交渉とか対立とかを含めて政局というものに意味が出てくる。でも、政策そのものとは別のものだといえば別のものだよな。

電車に乗るときには切符を買って行き先を確認すればいいのであって、やって来た車両のVVVFの音を聞いて電機メーカーを当てる必要はないし、その路線の建設史に把握しておく必要はない。高速道路を走る時に、トンネルや橋の工法を知っておく必要もない。
政局って、ようするにそういうもののはずである。業界人やファンコミュニティでだけやり取りされるだけの価値しかないはずだった。

 

でも、実際には政治は政局を介してからしか政策に繋がらず、政局に自分たちの命運を託す必要がある。なので、政局は着目されるしニュースバリューもある。
メディアの政治記者は政局報道が仕事みたいなとこもあるし、大物政治家に食い込んで知恵袋になったり、情報工作の手先になったりもする。アメリカと違って知識人を集めたシンクタンクがあまりない上に、官庁と行き来して政治家のアドバイザーをする学者がいるわけでもない中で、大手メディアの政治部や大物政治記者がその機能を果たしてきた功績は大きいのは分かる。安倍談話のベースになったにおける読売新聞の調査報道なんかそうだよな。


でも、それが純粋な報道なのか、国民が知りたがってる政策そのもののか、というとそうでもなかろう。
別に国民からすると自民党内のルールや慣習がどうだって話ではないし、アメリカ相手の交渉ががちゃんと続くことが大事であって、自民党内の疑似政権交代をどのタイミングでやるかは、歴史的な積み重ねや経験に基づくにしろ、自民党内の慣習に従うのか、といえば、別のそうしろといってるわけでもなかろう。
そういう国民の知らないとこでやってるってのがまあ批判の的であって、因習に荷担した政治記者は所詮は政局記者でしかないんだよな。選挙に落ちればただの人っていうけど、政治記者は犯罪でもしない限りはクビにもならず定年までは安泰である。偉そうに石破総理に退任しろって記事書いてるけど、自分が責任のある当事者でもないのに、そうだと思い込んでいるのは流石にキショい。

駅で見ず知らずの利用客に電車のスペックをぶつぶついってる人でもないんだからさ。