セコい地方分権とセコい文化政策とかわいそうな美術館

神戸新聞|文化|学芸員が一斉退職へ 芦屋市立美術博物館
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0003813530.shtml
こんなニュースが飛び込んできた。
民間委託で安くなるのも限度がある。
あとこんな論争もあった
Togetter - 「美術館に税金を投入するべきか? から派生してのいろいろ」
http://togetter.com/li/33639
少々この市議が怖い

いろいろな考え方があると思う
市民のニーズにかかわらず公金を投入する
市民にニーズをもってもらうように説き伏せて公金を投入する
あるいは圧倒的金持ちに持ってもらう
小金持ち市民にちょっとずつ出してもらう
文化なんかしらん、焼け野原
まあその辺のところでまとめられるだろうか


個人の美術館というと例えば電鉄系に限ってみても電鉄会社の直営ではないが、かつての経営者の意志も含めれば東急・東武近鉄・阪急といろいろある。相場師的な実業家でいえば山種美術館足立美術館なんかがあるな。相場師が最後に夢見た楽園的なところであろうか。
これは経営者が庶民とはかけ離れた報酬や利益配分を受け、また庶民とはかけ離れた教養文化をもっていて成り立つわけだ。その意味では民間で勝手にやってください、というのは、社会における格差、もっといえば階級の差がもっとあればいいのに、と言外でいっているわけだ。

そもそも日本は戦後、圧倒的な金持ちを作らないように社会が発展してきた。つまり圧倒的金持ちなんかいないし、いたとしても表だって活動なんかしないのである。そんなレアな金持ちも無教養なんだから数千万の外車を買って、数億円の豪邸を建てるのが関の山。豪邸さえおっくうらしく都心の億ションに引きこもるのもありがちである。別段、ハイソな教養がないことを恥じないのも、その辺の面での上昇志向がないのも、日本社会全体が階級を否定して撲滅したからに他ならない。目の肥えた金持ちがいないんだから行政が面倒見るしかないよな、ということになる。

が、税金で、となるとまた面倒な話になる。
地方分権の怖いところは、生活感覚で銭ゲバが始まることにある。福祉の対象とならない大多数の人たちにとっては税金が還元されるのは
インフラ整備と文化事業などといった事業と意外と限られているわけだ。就学期の子供がいなければ、あるいは私学なら教育費ですら帰ってこない。福祉の対象者が福祉がなかったら他の人に迷惑をかける、という理屈もあるが、そういうことを大きな声で主張するのは少々気が引ける。
その辺で福祉を充実させろ、という主張があるのなら、福祉やら文化事業を削って税金を安くしろ、というだぎゃー市長みたいな意見もある。だぎゃー市長はムダを削るとはいっているが、市民税削減分しても交付金がそのままなら、全国から寸志で市民税減税分を穴埋めしていることになるので、各種交付金は削減するのが筋であろうし、そもそもムダ削減といいつつも、必要なものも削られるのはありがちな話である。
アメリカのリタイアした老人が退去して移住してきたリゾート地では、老人が税負担が増えるのは嫌だと教育費を削ったらしい。醜悪きわまりない話であるが、当の老人からすれば銭ゲバは当然の権利である。そういう銭ゲバが地域自治の名の下に繰り返されるのである

その辺の対立とは遠いところで半強制的に国から補助金が出るから、批判されるとはいえハコモノが成立して文化も支えられるわけだ。

広い目で見たら美術館というのは都市の魅力やブランド力をあげることになり、結果的には企業や住民が集まれば税収アップにつながるわけだ。
首都圏や京阪神の人口は当分は減らないんだから都市力アップは大事なこと。
でも困った人にお金出すのではそういう効果はないよな。
助産師支援などの制度を削ったのはセンスが悪すぎると思うが)
本当に議論すべきはマイナスサムゲームの中での文化vs福祉という対立なのか、それでは余りにも不毛すぎると思うがどうだろうか。
本来議論すべきは住民の税負担も含めた公のあり方なのでは?
その意味では横須賀市や芦屋市にその美術館は分相応なのか、赤字を減らす余地はないのか、などといった疑問はあるけど、美術館をやめて福祉を、という主張は必ずしも正義ではない。同様に減税も必ずしも正義ではない。

ちなみに戦後の文化政策というのは極めて貧弱であった。その中で、収益事業としての美術展が奮闘していた。
戦後美術展略史―1945‐1990という本に詳しい。
朝日新聞の文化関連事業を仕切って美術館に天下った人の本で、困ったことに美術関連の論評が電波だが、事業の仕掛け人であるだけに、会場を提供することで集客を謀った百貨店や、主催者として美術品の提供に奔走した新聞社側の事情というのが面白かった
戦後は寺社領が農地解放でなくなったりと困窮した寺が、経済的なメリットを考えてご開帳的な展示会を進めた。
穴場だったソ連に猛プッシュしたのが資本主義の権化である日経だったとか、名物記者がサダトとだちで色々借りられたとか、エジプトに展覧会の収益を寄付することで名を挙げた話とか、色々強烈な話が多い。
あと熊本の太洋デパート火災を機に、専用設備のない催事場での展覧会への国宝や重要文化財の持ち出しが禁止になったのだという。そして一気に百貨店での美術展というのは下火になったのだが、堤清二西武百貨店での現代美術の美術館の設置を機にまた活況を呈する。
政府の関与というのが非常に希薄な中で進められてきた。どうせ金なんか出す気のない「セコい政府」の体制の下で
百貨店と新聞社が繰り広げた美術展狂想曲というのは、図らずも戦後の経済発展の一つの側面を鮮やかに描き出している。
ちなみに現代美術に熱心だった堤清二は、セゾングループを追い出され、今の公式な肩書きは「財団法人セゾン文化財団理事長」のみであり、オフィスや秘書や車はその肩書きの分、というのが事情通の知り合いの話である。やっててよかったメセナありがとうメセナ、情けは人のためならず・・・?

ここは酷い横須賀美術館ですね 障害報告@webry/ウェブリブログ
http://lm700j.at.webry.info/201007/article_5.html
ここは酷いデパート等臨時公開施設における国宝重要文化財の公開禁止に関する通達ですね 障害報告@webry/ウェブリブログ
http://lm700j.at.webry.info/201008/article_5.html