JR西日本が企図した革命への闘争と見抜けなかった”意識の高い”人達

堀義人氏 JR西の判断を問題視する(弁解三加) - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/731514
かようなことで炎上している案件があった
もとより、これは去年より主張していることが現実化したことである
高度防災国家におけるエクストリーム出社の是非 - よりぬき障害報告@はてな
http://d.hatena.ne.jp/lm700j/20131024
また、これはJR西日本が仕掛けた一種の革命への闘争だったのではないか、と思い始めた
ご理解とご協力を強制するセルフ順法闘争 - よりぬき障害報告@はてな
http://d.hatena.ne.jp/lm700j/20110217/1297976364

いくつかの報道や周辺情報からから決定に至った事情を整理する
・台風の来る連休の末日で行楽客などが少なくなっていたこと
・抑止されたり、立ち往生した列車に乗客が閉じ込められることが問題視されたので
 無理に列車を動かすこと自体がサービスにはならないと判断されたこと
・事前に予告しておいたほうが利用客にとっても有り難いこと
・運転再開には長大な築堤などの点検が必要であること
国交省などから事前行動計画の制定が求められていること
・それにより社会活動自体を抑止しようとしたこと
・直通エリアが広大なので、一部区間の抑止が全体に影響を及ぼすこと
・沿線各所で列車が抑止されると翌日のダイヤに影響があるので
 計画的に運休を行い擬似的に終電として車両を車庫に戻すため
まあそんなところだろう。
対して私鉄では長距離列車が最優等列車を間引きながらも、運行できる範囲で運行を行った。これは運転区間が限定されているため、途中で運行不能になっても混乱は限定できる、ということでもある。

単に天候の問題だけを云々するなら、台風前の終電が終着駅に着く時間までは、大阪周辺での間引き運転なども同じリスクとの中で対応可能な手段ではあったろう。またUSJの閉園よりも先に運行を停止したことで陸の孤島になった、という問題もあった。まあこれについてはUSJ側の不手際といえばそれまでである。

ただ、そういうところでまだ出来ることはないか、という従来型のサービス追究の姿勢を捨てて、明確に行動計画を策定してその通りに実行をした、ということに着目したい。また私鉄各社も同様の決断が可能かどうか見守っている状況なので、追随する可能性はそれなりにあるだろう。
これはJR西日本という地域独占に近い企業が仕掛けた闘争なのだ。目指すのは台風が来れば半日社会活動を抑止する未来である。ここに個々のお客様、個々のサービスといった視点は存在せず、社会の価値観をどう変えていくか、という壮大な企みがある。
そしてその企みは大成功に終わった。メディアもそれほど叩いてはいないし、これに異議申し立てをするのはワガママ、という空気も芽生えてきている。


来年の台風シーズンには、国交省とJRがタイムラインを策定して、それに私鉄が追随をする、ということになるだろう。また文科省も台風シーズン前に各学校に明確なルールを策定するように要求はずだ。それもかなり安全側での判断となると思われる。同様に各省庁は業界団体を通じて、業界ごとの企業活動の抑止についてルール化を進めることになる。前回の台風ではトヨタが、今回は三菱自動車が工場の操業停止を決断したが、ピラミッド型の取引業態を持つ業界では、「トヨタカレンダー」のようにトップの大企業の決断一つで統制が取れるし、しかも台風は列島縦断をするので、サプライチェーンも各地方で同じ時間だけ止めれば差し引きゼロだ。小売り外食も不毛な争いにならないように横並びでの閉鎖を行うようになるだろう。逆に難民を収容するような目的で準備をして営業を継続する外食も出てくるだろうな。そして統制を進めて、社会的コストが最小になるように最適化を行っていくだろう。逆に社会機能を維持する仕事はまた厳格な計画に基づいて動く。ここに個人の情念が入り込む余地はない。そして客として要求しようとしても、もはや反社会的な要求であると糾弾されるかもしれない。


また炎上した別の要因の一つとして、”意識の高そうな人達”が実は嫌われ者である、ということがあるのかもしれない。我々が、自分が「立ち往生した列車に閉じ込められる」という悲劇は想像しうるし、接客業であれば無理な要求をする乗客に窮する駅員を想像して自分も同じような辛い目にあうことも想像できるだろう。また計画を立てるのが仕事であれば運転指令とかの労苦もまた共感出来る。でも、「意識の高そうな自分が意識の高そうな講座に通う」のは別にしたいとも思わなければしないだろう。待ち望んだ趣味のイベントが開催されるか、というのは近いのかも知れないけど、開催されるべきで参加するのは当然、といった正義を求めるのは奢りだとは分かっている。そこに普通の人達が理解できる接点があるが、逆に意識が高いとその地道な理解をスルーして革命の意図に気づかない、ということになってしまう。

で、氏はエネルギー関連での発言では理にかなったことが多いわけで、巨大システムに対して敵対的ではないし、社会全体での最適化、という点も重視している。だから、本来はこの決定に対して理解するなり、分析的に批判するなりが筋であったと思う。しかし当事者となった時にそれほど理知的には振る舞えないこと、さらに正義を体現してしまったと思った時にその正義に合致する微妙な感じの言葉が出てしまうということを示してしまった。そこにあるのは巨大システムに翻弄された哀れな個人の姿だった。

つうか、次はJR西日本の担当者を呼んで、どういう条件でどういう意志決定を行ったか、という講演などどうだろうか。示唆に富むものになると思う。