御社の話は聞いてない。経済人が社会を語ることについて。

冨山和彦:我が国の産業構造と労働市場パラダイムシフトから見る高等教育機関の今後の方向性(PDF)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/23/1352719_4.pdf
大批判を受けているG型L型大学の話である
で、くだんのページでなぜ大型2種なのか気になった人はいないだろうか。これは冨山氏が創設したみちのりホールディングスという地方のバス会社などの再生を手がける企業の存在があると思う。シェークスピアではなく観光を、というのはグループ中のホテルなどで働く人材を想定しており、大型2種をというのは再建中のバス会社の運転手を想定している、と考えると全て納得がいく話である。
会津バス 再生への物語:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110708/221367/
対して工学部で工作機械を、というあたりであまり具体的でないというかピンぼけな発想になっているのは、再建に関わった企業で池貝以外にものづくり系企業がないからだし、会計とか推しなのは会計畑の人が集まって企業再建ファンドを作ったから、そういう人材にのみ着目している、と推察できる。
そもそも資料の前半は地方のおける企業の課題などを検討する会議の資料の転用である。さらにサービス業の生産性が低いしばらつきがある、というのも、生産性が高まる手法をグループ企業同士で共有することで再建を行う、という考え方に繋がる。
つまりその資料の前半は我が社の取り組みとそこから見えてきた地方経済の課題、という位置づけが妥当である。前半の部分については妥当だし示唆に富むと思われる。しかしそこから一気に大学改革へ話が飛ぶのは行き過ぎだろう。

例えばユニクロの柳井氏は、大学1年で採用を決めるだの、世界で年収100万円と1億円に収束するから国内もそうなるなどの話をしていた。たとえば後者の話であれば、賃下げは考えてはいないとはいえ世界統一賃金の世界では国内の店舗でユニクロで店員を100万円で採用できる、ということは国内の労働市場が100万円で店員が出来る人材が雇える、ということである。もし他の企業が300万出すよ、とするならユニクロは誰も雇えないか、同じように300万円払うしかない。ということは他企業も同様の雇用体系になっているので、100万円の給料しかもらえない消費者だけになる。そうなればユニクロの服ですら買わない消費者ばかりになるだろう。対して年収1億円の人がユニクロを買うか、というとまあ若干は買いはするが、大多数の消費者が変えなくなった分の穴を埋めることは人数の桁の問題としてあり得ない。結果としてユニクロの服を買う人はいなくなり経営破綻する、と自分で公言しているのである。それ以前にアベノミクスとかブラック企業叩きで人材は逸走してしまい、慌てて人事体系を見直すに至った。
また過労死は自己責任と言い放った人材派遣会社のトップがいたが、その人材派遣会社は経営者や管理職や高度な専門職を対象としており、大多数の人材派遣の企業とは異なっている。今日はどんな肉が美味いか肉屋に聞いたのに、なぜか魚屋がサンマがうまいと答えるようなものである。聞いてねえよ
ここで我が社の話と社会の話がごっちゃになっている。社会は我が社とは違って社長のいうことは聞いてくれない。その反面で我が社は企業同士の商売上や雇用などの競争で、平準化されてしまう。我が社は競争がないニッチであるか、競争に勝ち続けてそれに社会が追随する状況でない限り、社会に従わざるを得ない。どっちにしろ我が社だけのワガママは我が社だけでしか通用せず、またいずれは社会からしっぺ返しを受けてしまう。

経済人が政府の会議に呼ばれるなり、あるいは社会改革について何かしらの発言をするにあたっても、社会は我が社じゃない、という大前提が重要になる。まずは冒頭に「これからお話するのは弊社の話でございまして、同業種や類似業種には適用できるかも知れませぬが、社会全体に敷衍することが妥当であるかについては難しいものがございます」で始めなければならない。

もう一つ経営コンサルタントとして致命的な点がある。工業大学では基礎的な科目ではなくトヨタで使われている工作機械を、というておるが、トヨタの名前を出すならトヨタ企業内学校豊田工業大学については調べたのだろうか。前者を参考にするなら、学生に給料を出すことを表明すべきであり、後者ならそんな直接的な授業は行っていない、ということくらい調べはつくのである。もし仕事として請け負ったプロジェクトでそんな雑な報告書を書いたら干されるのは目に見えている。
経済人が教育なり何なりの直接自社の経営に関係ない話をする時に、自らの本業と同じような質の分析などは行っているのだろうか。結局は放言は放言なのだが、それなら放言ですよ、あくまでも仮説なので専門家のご意見をいただきたい、というべきだろうし、専門家から反論されたら撤回するかブラッシュアップするか、しないと本業での発言にも疑問を持たれるのではないだろうか。
そもそもごく少数のG型の人材だけで社会が回るのか、そもそも地方まで来てくれるのか、ということを自分の資料で課題だとしながらも、それでもG型の人材を輩出する大学を限定しようとしている。それならなるべくG型の人材やG型の人材と連携して仕事が出来る人材を増やそうという発想に至るべきではないのか。長期雇用が増えるであろうといいながら、教育については長期に渡って有効な能力なのか、という検討もしていなさそうである。
L型大学のモデル:ドイツの専門大学の話 - 発声練習
http://d.hatena.ne.jp/next49/20141026/p2
ここでまとめられているドイツのL型大学の総合大学化は重要な指摘だろう。

アニメの評論とかで”セカイ系”という言葉がある。主人公と恋人との関係から一気に世界が滅亡するとかに話が飛ぶ作品についての若干の批判とも軽侮ともつかぬ含意のある分類である。家族がいて学校があって地域があって、という中景を無視するわけである。我が社の経営がいきなり社会をどうする、みたいなところに話が飛ぶのも、業界があって市場があって政府があって、あるいは社員の家族がいて、という中景がない点では立派な”セカイ系”である。
一度自分の経験を突き放して客観化しうるかどうかは、それこそ当人の教養なのである。往々にしてワンマン企業のトップは、企業内で一番の高学歴で、それなりに独りよがりではあるものの勉強をしているわけで、企業内でそれはないと冷や水をかけるような人が他にいないのである。そこが大企業の経営者との違いではあるよな。創業家の一族なら道楽的な教養もあろうだろうし、サラリーマン社長なら自分を客観化できないようなら出世もおぼつかないわけで。

(お前の会社の話は、というとちょっとぎょっとするのでタイトルを変更)