日本スゴイ番組は何処へいくのか

日本スゴイ系番組が花盛りである。というか各局ともゴールデンタイムがそれだよな
このブームの原因を何に求めるか、日本はすごいからだ、という身も蓋もないけどそれどうなのよ的な見方もあるし、パッケージ化された社会科見学系番組の作りやすさを指摘する向きもあろうし、衰退する日本にとっての都合のいい夢だ、と小馬鹿にする向きもある。それぞれにまあそうだろう、というところがある。

いわゆるテレビ的教養論とかはあって、そこからすればそれなりに質の高い番組ではあるんだよな。国民を統合する物語としても前向きだし、同業者の活躍はそれは誇らしいわけで、誰も損をしていない。元から、微妙な時間帯に1スポンサーでかなり掘り下げた内容の国内の企業とか研究者に密着する番組とかあるけど、それが鉱脈であったと気づいた、ということもあろう。

丸山真男が戦前の天皇制に対しての社会の中の矛盾した2つの考えを説明したものに、顕教密教というのがあるな。庶民が信じている、あるいは信じさせられている天皇制を神聖とする見方を顕教とし、エリートが学ぶ天皇機関説とかの考え方を密教とした。ここでは庶民の信じているものを顕教とし、担当者が知っている不都合な、あるいはマイナーだが重要な事実を密教と再定義する。
かつてにおいて、日本が世界に追いつけ追い越せ、あるいはバブル後の日本は社会的に未成熟だ、みないなものは顕教であり、日本はここが優れている、あるいはがんばっている人がいる、というのは密教だったと思う。バブル後のものづくりはもう古い、みたいなのは顕教であり、それに対しての密教メタルカラーの時代であったのかもしれない。その後は、ものづくりのすごさみたいなのは割と人気のコンテンツになったような気がする。そしてプロジェクトXに至った。この時点で顕教密教は逆になった。というかかつての顕教は力を失った。古い顕教を振り回すのは、戦後に万世一系を叫ぶようなものであり、二重にピントがずれている。

日本スゴイを見て同業者なら誇らしく思うのは当然だろうし、あるいは現場はそう単純でもないと頭が痛くなるかもしれない。ただ何にしろそれに対して参加出来るのは、日本が競争力をもっている業種であったり、内需的なサービス業で働く人なりであったりする。この時点で、例えば日本の会社が性に合わなくてIT系で海外で仕事してるとかは対象を外れてしまう。犬儒みたいなブロガーもたぶん対象にはならないだろう。

日本スゴイという顕教に対しての密教は、現場はそう簡単ではない、という苦悩であり悲鳴である。原発事故であったり、JR北海道の一件であったり、老朽化するインフラだったり、スマホ敗戦だったり、メタルカラーが現場で苦悩し敗れるようなことは今後は増えていくかも知れない。またサービス業でも、おもてなしの裏の悲惨な労働環境はクローズアップされている。しかしそれに対して答えを出すのは犬儒ではなく、その当事者であり、その苦悩に共感しどこまでを求めるかを考え直す国民である。

日本人は落ち目になっているから「日本はスゴイ」、に頼るんだ、という考えももまた、自分にとって気分のいい結論ありきである。日本スゴイが醜いなら、日本醜いもまた醜い。求められている密教はどうすれば状況が改善されるかを考えさせられる話であり、やがては顕教として社会を動かしていくことになろう。そうなってもやはり犬儒には居所などないのだ。

じゃあ外国人に語らせるのはどうか、ということだけど、そりゃ自己評価以外の評価は他者からなされるものだから、他者代表としての外国人は出てくるわな。かつてより、外国人をして日本を語らしめるパッケージは手堅い。そこには日本人が外国人を騙っての言説が混じるくらいである。この前、テレ朝のそれ系の番組でバスと地下鉄を取り上げていたが、合理的な設備やシステムは是非導入したい、という反応であったが、合理性が失われた精神的な話については”スゴイデスネ”で終わっていた。また伝統建築的な話も、かなりレベルの高い内容ではあったが、かといってそうそう現代建築に展開できるわけもなく”スゴイデスネ”で終わっていた。やはり他者からの視線は有益である、ということを示唆しており、図らずも「現場はそう簡単ではない」という密教に行き当たっているのが興味深かった。

で、当のテレ東であるが、経済系3番組も日本スゴイみたいな傾向はありつつも、それぞれの方向に進んでいる。ガイアの夜明けは企業のアドホックでかつ本質的ではない解決案を取り上げていたが、最近は「現場は簡単ではない」的な業界の宿痾みたいな課題を取り上げるようになった。カンブリア宮殿は経営者はハイテンションなブラック企業を取り上げていたが、村上龍ゲンナリしたのか最近は不毛な競争からどう抜け出して自分だけの世界を作るのか、という方向へ向かっている。未来世紀ジパングは外国人をして日本スゴイを語らせる構成だったが、その取り上げる国があまりにも悲惨すぎるか斜め上にバブってて、もう日本の貢献とかほとんどおまけになってしまっている。それぞれに日本スゴイとは別の答えを追い求めていて、テレ東はつねに密教だな、と思わざるを得ない。それぞれに別の答えを追い求める、かくありたいものである。