バス・トラック業界の再編と消えるコーチビルダーと「富国強兵の遺産」

初級ハズヲタにも( ゜Å゜)ホゥと思うニュースがあった
三菱ふそうとUD、バス事業統合決裂 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110120/biz11012008520065-n1.htm
三菱ふそうUDトラックス、バス事業の統合交渉決裂 | レスポンス自動車ニュース(Response.jp)
http://response.jp/article/2010/10/29/147184.html
バス事業に関する合弁会社の設立協議打ち切りのお知らせ
http://www.udtrucks.co.jp/CORP/NEWSRELEASE/2010/101029.html
UDトラックス社とのバス事業に関する合弁会社の設立協議交渉終了について
http://www.mitsubishi-fuso.com/jp/news/news_content/101029/101029.html

シャーシの供給やOEM関係も含めて業界再編でわけが分からないことになっているので、そもそものバスを作る側の産業史を考えてみたいと思う。

プリミティブなバスの製造法はトラックや自動車の下半身(シャーシ)を買ってきては大工仕事で客室を付ける、というもの。これが戦前のバス製造の実態といってもいいだろう。
戦後は、仕事がなくなった航空機メーカーが参入した。特に航空機から持ち込んだ外板に強度を持たせるモノコック構造は、古いコーチビルダーとの差別化になっていった。

川崎重工業三菱重工業中島飛行機発の富士重工業、そして九州飛行機の流れをくむ西日本車体工業など。

鉄道車両でも戦後しばらくはモノコック構造が流行した。渋谷の駅前で無惨な姿をさらしている東急5000系はその代表格であるが、製造した東急車輌海軍工廠のエンジニアが集まって出来た企業でもあり、各社のこれらの蓄積が新幹線へとつながっていく、という意味では、零戦から新幹線へのミッシングリンクともいえる。鉄道車両の場合には行き過ぎた軽量化や丸い車体では大型化ができない、あるいは冷房を搭載するには強度が不足するなどでモノコック構造は速攻で廃れたがな。

シャーシを供給する企業も軍需産業色の強い企業であった。「いすゞ」や「ふそう」と聞いて、伊勢神宮の脇を流れる五十鈴川パンツじゃないから(ry日本の美名である扶桑を思い出した人は鋭い。いすゞは今はIHIとなっている東京石川島造船所と今の東京ガスの系列企業であった東京瓦斯電気工業が、1934年に製造したトラックに付けた愛称に由来する。ふそうも、三菱造船神戸造船所が1932年に作ったバスの愛称が「ふそう」だったところから始まる。
日野はいすゞから瓦斯電系の人が分離して軍事車両を手がけたところから始まる。日産ディーゼルも、前身はディーゼルエンジン国産化の熱意から始まった企業で、日産グループに入るは鐘紡系だったりと変転している。これらの会社は1930年代に相次いでディーゼルエンジンやトラックの国産化に成功した企業であり、戦時中は必死でトラックなどを作っていた。

ISUZU:歴史・沿革
http://www.isuzu.co.jp/company/aboutus/history.html
三菱ふそうトラック・バス株式会社 FUSOの歴史
http://www.mitsubishi-fuso.com/jp/corporate/history/index.html


航空機メーカー色の強い独自性の高いコーチビルダーと、自動車メーカー・トラックメーカーのついでのシャーシメーカーが形成され、各バス会社がそれらから適宜組み合わせて導入をした。この辺は、世界的に見て結構特異な業界構造であった。

各種の変転があるが1975年の日野車体誕生で業界は落ち着くこととなる。このときの状況をまずシャーシメーカーとコーチビルダーの目から整理しておく。

トヨタ系の日野自動車は日野車体に
いすゞは川重系のコーチビルダーを飲み込みつつあった
ふそうは直系と準系列のコーチビルダーを持ち統合を進めた
日産系の日産ディーゼル(後のUD)は独立系の富士重工業と西工と縁が深かった
シャーシが自力では作れない独立系のコーチビルダーである富士重工業と西工は、各シャーシメーカーからシャーシを調達し車体を架装していた。
そして、バス会社の支持は圧倒的に独立系コーチビルダーの富士重工業と西工に集まった。垂直統合された他社に比べてもわざわざ選ばれるそれだけ優れた車体であり、バス会社からの支持も大きかったのである。西工は日本最大のバス会社である西鉄バスの系列でもあったため、ユーザー視点での支持も大きかったのだろう。

しかしご多分にもれず垂直統合の流れが強まっていく。これはバブル後の経済低迷によるバスの新車需要の低下が大きい。地方のバス会社はここ10年ほどは新車を買わずに大都市から排ガス規制で早期退役した車両を中古で導入していることでしのいでいる場合が多い。バリアフリー法や環境対応を考えて開発費も増大するし、シャーシから車体までの一貫設計が有利になったこともある。
まずは富士重工業は自前のコーチビルダーを持たないUDに絞ることとなったが、日産改革に伴うUDの経営再建の中で西工にシャーシ供給を絞り込まれ、無念にも最強のコーチビルダーであったはずの富士重工用のバス部門はあっけなく瓦解した。

ボルボの傘下に入ったUDはさらにラインナップの整理を進めふそうとの相互OEM供給に踏み切った。さらにはふそうとUDのバス部門の統合することとなり、ふそう側のコーチビルダーに片寄せとなった。結果として西工ははじき出され無惨にも会社解散の憂き目にあった。しかしここにきて、バス部門統合がいきなり交渉がダメになった、ということになっている。結果としてUDはバス部門を放棄することとなったわけだが、元から真面目にバス事業を継続させようなって思ってなかったのだろう。そのつもりなら西工を何らかの形で取り込んでいるはずだからな。

すでにいすゞ日野自動車のバス分を統合したJ-BUSがあることから、トヨタ系J-BUSとふそうの2大メーカーに絞り込まれることとなった。しかるべき所に落着したようにも思われるのであるが屍累々である。
特に独立系コーチビルダーの即死っぷりがすごいよな。結局は世界の巨大自動車メーカーグループの都合に振り回されるところもあるし、バス会社のわがままを聞き過ぎた面もあるのだろう。
というかコーチビルダーのよいものを社会に出そうとしてきた努力が
、余りにも無造作に切り捨てられたことにむなしさを覚える。西工は西鉄の子会社が業務拡大を続けて発展してきたが、その成功例はあくまでもそれは国内の小さな物語であって、世界的なトラックメーカー再編という大きな物語に抗することはできなかった。
値段が同じならこだわりの設計を求めるだろうけど、値段が違うなら安い方を買うだけの話なんだよな。悲しきかな。

開発費がふくれあがる一方で急激に需要がしぼみ、企業やその部門の存続が困難となりつつあるという意味では、防衛産業とも近いところがある。皮肉なことにコーチビルダーは日本の戦前戦中の航空機産業の残照であり、トラックメーカーであるシャーシメーカーは、戦前の軍事的な観点でのトラック国産化により勃興した企業であった。まさにバスの車体とシャーシそれぞれが濃厚な「富国強兵の遺産」の物語を持っていた。いろんな意味で考えさせれる話ではあるよな。

つうか真剣に韓国メーカーへの対抗策を考えねばなるまい。出ている数が違いすぎるのでコストの面でも国内メーカーは割と分が悪い。韓国のバスメーカーがあそこまで統合が進んでもバス会社が困らないのは、バス会社側で内装やオプションを取り付けているからだそうだ。日本でそれをやると車両重量が変わって許認可がややこしくなるからだめらしい。ガラパゴスといえばそれまでだが困った話だ。

ぐぐると西工の閉鎖のバスツアーの記事が出てくるがあまりにも切ないよな。鉄道車両などの部門を捨てても、自動車メーカーとして、あるいは航空産業の一角として機嫌良くやってるスバルとは大違いだな。日本の重工メーカーは手広くやっている割には部門間の連携が超希薄でシナジー効果なんてあるの、って面はあるが、財布と人員と敷地を共有しているだけでも、何かあったときの耐久力は大違いである。

787.TSUBAMEのきまぐれブログ : 西工廃業、コーチビルダー終焉
http://blog.livedoor.jp/express_tsubame/archives/51761136.html
西日本車体工業(西工)が解散!バス業界の今後は… 尼崎な虹の研究室/ウェブリブログ
http://ama-tora.at.webry.info/201001/article_26.html

あとバス趣味の終わりの始まりになるんじゃないのかって懸念もあるよな
バス会社のこだわりが生む世界こそが魅力だったわけでさ
もう車体を見てシャーシメーカーを見切る能力とか要らなくなるのかw
ついぞ付けないままに終わってしまったな(´・ω・`)

東京で一年だけ小田急バスでバス通学していたときは、3E・5E・7Eにブルドックにエアロスターって感じだった。関西に戻ってきて阪急バスで西工ばっかだったな。実家に帰ってみると、他社製のが新車で入っていて超違和感w

ここは酷いコーチビルダーですね 障害報告@webry/ウェブリブログ
http://lm700j.at.webry.info/201010/article_31.html