「楽天焚書事件」に見る楽天とネット社会の行方

要するに楽天が運営している、というか運営を引き継いだ無料ホームページサービスが、無料版の部分を終了させ、有料版に移行しない場合には削除するという。
しかもプレスリリースから2ヶ月で削除と来た。よく検討して、という言葉が余りにも白々しい。それとも2ヶ月前になって消さなければならないと気付くほどのボンクラであったのだろうか。
インフォシーク iswebライト 終了のお知らせ - インフォシーク ユーザサポートからのお知らせ - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/usersupport/diary/201008250000/

現在も更新しているアクティブユーザーなら有料版の費用対効果には関心を示さず、他のサービスに移行してしまうだろうし、連絡が付かないユーザーなら有料版への移行をせずに消えてしまうだろう。何にしろ楽天にとっては何の利益ももたらさない決断である。

無料ホームページサービスがビジネスモデルとして終わっているなら、より動的にページを生成するより負荷の大きいブログサービスがビジネスモデルとして成立するわけがない。ブログサービスに比べればナローバンド時代のページを保管閲覧させるなんぞ、今となっては屁でもない話のはずである。まあCGIとかは停めてしまっても良いだろうがな。

さて、ネット上では無料サービスの花盛りであるが、基本的には広告収入とフリーミアムの二つの柱で成り立っている。フリーミアムの場合には無料版を気持ちよく使ってもらうことが重要であるので、無料ユーザーのデータ削除という暴挙はあり得ない。広告に関しても、かつてのバナー広告に比べれば、検索のキーワードやそのサイトの中身に応じた広告は圧倒的に効果が高い。また不愉快なポッポアップ広告や閲覧者の関心とは無関係に出てくる広告に比べれば、これらの広告サービスは出す側にも見る側にも利益は大きい。広告代理店として見たGoogleや、そこからアクセスを集めるAmazonといったサービスはそれで成り立っているといっても過言ではない。「知りたい」という気持ちのうちのほんの少しをお金に換えているからこそ、これらのサービスは信頼され愛されているのだ。

これらのサービスと楽天の広告を比べてみると、やはり楽天の広告は稚拙であったいえる。楽天コングロマリット的な側面を考えれば、例えば廃線跡サイトの広告に、その廃線跡近辺の旅館の広告やレンタカープランを出して旅情を誘うというのも一つだし、園芸サイトやペットサイトの広告に楽天に出店している専門店へのリンクを入れるということも可能である。これは楽天の強みではなかったのか。その点で、潜在的な収益減を自ら滅ぼすとはなんという無能、という話。もしGoogleAmazonが引き継いでいれば、自社のコンテンツへの集客へと利用していたことであろう。ひょっとしたらAmazonなら買うけど楽天じゃ買わないってユーザーも多いのかもしれないな。

さて、infoseekの優良サイトが消える、ということは、直接的に金にならない情報の蓄積が無意味だと主張しているわけだ。ブログ時代になって整理前の情報を気軽にアップできるようになったのはいいのだが、よく整理された情報を見せる、というのは少々廃れたように思う。いくつかの優良サイトは、今回のごたごたで更新する気力を失ったようであるし、その点も残念だ。

また書籍であれば国会図書館に行けばいつになっても読むことは可能であるが、ネット上から消されたデータというのはそうはいかない。WebArchivesも不完全であるし、また誰かが中身を紹介したリンクを記さない限りは検索で引っかかるわけではないので、実質的にはそこあった情報が消えてなくなる、ということとほぼ同じなのだ。アレクサンドリア図書館炎上レベルとまではいかないが、この「情報が消える」ということのおぞましさを理解できないとすれば、それはそれで情報産業企業としては相当に鈍感であろうし、ある種の文明観の欠如ともいえなくはない。Googleはなんだかんだで特殊な文明観を持っているし、多くの大企業も社会を支える組織としての文明観のようなものを持っているわけである。所詮は楽天ですかそうですか、さようなら。