高度防災国家におけるエクストリーム出社の是非

この前の台風では、元から鉄道は間引きが予告されており、企業は一部の社員をホテルに泊まらたりした。
それが段ボールを床に引いて寝てろ、といわれたというツイートが話題を呼んだ。
で台風が来るとどんどんと列車が運休がされる中で、来なくてもいい、と言われるのに苦労して出社する人も出てきた。
朝日新聞デジタル:「サラリーマンなので…待つ」 通勤・通学の足も混乱 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/1016/TKY201310160104.html
「会社からは無理しないでいいと言われていたが、サラリーマンなので来てしまった。再開を待つしかない」
実は多様な問題を孕んでいるんだよね

まずはBCPの観点からは業務を継続するための最低限の要員を抽出して、その人達に会社の経費で泊まり込んで貰うなり、タクシー通勤の費用を持つなりするのはまあそうだろう、という気がする。
逆に言うと列車の運行が混乱している中で足止めを食らっている、というのは、そもそもその日に出社する必然性はそれほどない、ということなのである。
あるいは必要な要員の選別が出来ていないので、というところもあるわな。

全体主義的なことをいうと、不足するリソースをいかに有効活用するか、という観点は非常に重要である。
こういう時に不足するのは通勤列車の輸送力である。
列車が半分に間引かれれば、半分以上の社員を出社させるのは、他社よりも優先して社員を出社させないといけないそれ相応の理由が無い限りは、その企業が不足する資源を無駄使いしているともいえる。
混雑する列車に乗っているのが、上記のようなあやふやな理由だったとするなら、それなりに問題はあるわけだ。
例えば断水しているときに備蓄してあるペットボトルの水を、のどが渇いている人が居るにもかかわらず、その人には渡さずに勝手にそれで体を洗うようなもんだ。
不足しているリソースを優先度の高い順に、あるいはなくては困る順に配分する”トリアージ”は必要となる。

対して、個人個人としての観点としては、通勤時に足止めを食らっている時間の給与は出ないわけで、時間の無駄でもある。
必要な要員から外れているなら、出社してみたところで他の社員はいないとか、取引先が機能停止しているとかであれば、仕事にはならない。
となるなら在宅で出来ることをやるなりお休みにするなりが合理的である。
ここに社会全体の最適化のための結論と、個人の最適化は合致する。

ただ個人の最適化を指摘するあまりに、災害対応に当たる人や社会や業務の維持に必要な要員、という観点が抜け落ちた論評が見られるが、これは浅薄と言わざるを得ない。
「10年に1度の台風」のなか、社員に出社させる会社は「ブラック企業」だ
http://blogos.com/article/71759/
「生産性の概念が欠如」。だから台風でも通常出社しようとする
http://blogos.com/article/71774/
いくら賛同を集めたところで、社会を動かすおっさん連中にとってはないとの同じだ。
災害時に動く人のために我々はリソースを譲ろう、という発想こそが大義名分となる。

社会にとって最適なことと個人にとって最適なことはここに合致したが、なぜ実現されないのか。
察するに企業内での忠誠心ゲームとしてのエクストリーム出社の問題がある。
抜け駆けして苦労して出社すれば、合理的に休んだ人よりも優位に立てる。
あるいは会社の機能を抑止しなければ取引先から評価される。
こういうことを期待しての行動でもあるわけだ。
キンゲームというか囚人のジレンマみたいな状況になっている。

ここで必要なのはある種の強制力である。
この手の問題に対してのいい例としてはクールビズがある。
政府が音頭を取って、ソフトな統制をかけることで、みんなでガマンして耐えていたことをやめようとなるわけ。
これも他人よりも他社よりも軽装なら負けるという囚人のジレンマを解消している。
そして社会全体で節電とか快適執務とかを実現を出来たわけだ。
これに習えば、例えば気象庁が情報を提供して、それに応じて列車の間引き宣言が出たら、間引き率に応じて企業は社員の出社率を制限する。
そのような行動計画を企業に義務づける、ということはどうだろうか。
(当然ながら重要度に応じて出社率は変動させるべきだが)
台風だけではなく、地震・富士山噴火やそれに伴うインフラの混乱などでも適応可能だろう。
企業としては、取引先もライバル会社も機能停止するなら、競争上は不利にはならないわけである。
それに台風なら順繰りで日本全国が麻痺するから、サプライチェーン上は1日分のバッファで足りるだろうしな。
夏場はその分を積み増しておく、ということになるのではないだろうか。最適解としては・・・・

このような台風が今後は年に何回も通るともなると、ちゃんとした行動計画を作ってしまったほうがトータルでは安いよな。
エクストリーム出社のコストは現状では社員の労苦や、電車の不必要な混雑といった形での社会での負担になっている。
いわゆる外部不経済というやつで、ちゃんとコストを内部化させるべきで、このコストを企業が持つとしたら、全然違う均衡点に落ち着くはずなのである。
高度防災国家においてはそこまで踏み込むべきなのである。

遠からずこの手の規制が政府からなされ、必要な要員でもないのに苦労して出社が美談ではなく愚行・悪事であるとされる日が来たとしたら、忠誠心ゲームに打ち込むことが出来た日々を平和な日々だったと懐かしむことになるだろう。
それは社畜の解放でもなくノマドの勝利でもなく、社会が災害に対して撤退戦を続けているだけなのかもしれない。
永遠に続く負け戦を強いられてるのかもしれないな、高度防災国家って奴は。同じ負け戦でも損害を極小化しているだけで

高度防災国家におけるエクストリーム出社の未来 - Togetter
http://togetter.com/li/577740