あ艦これ史観〜おもしろうてやがて悲しき艦隊これくしょん

「艦これ」は自虐史観を矯正するか : アゴラ - ライブドアブログ
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なんだこれって記事を見つけて頭を痛くする人がそれなりに

艦これと史観というのも色々難しいところもある
田中Pの思いを察してみるに、大日本帝国海軍が「したかったこと」「すべきだったこと」「してしまったこと」を再現する、というところにあるのではないか。

したかったこと、というと巨大な戦艦による大艦巨砲主義や、高速重武装特型駆逐艦軽巡洋艦による重雷装艦による艦隊決戦の前の漸減作戦や、艦載機による一方的なアウトレンジ攻撃などがある。特に特型駆逐艦を引き連れての水雷戦の夜戦なんかもうね、という感じである。格上の相手をボコボコと葬る姿はまさに工業力におとる日本が選択せざるを得なかった隘路だったのかもしれないよな。実際には大戦前半の少数の事例を除いては思うようにはならなかったわけだが、それ故、プレーヤーには強い印象を与えるんだよなあ。

すべきだったこと、というと大井篤の海上護衛船で指摘されるように、艦隊決戦のみならずシーレーンの防衛への注力や、資源の管理といったところ。ゲーム内の資源の枯渇に頭を悩ます提督は、鯖への猫来襲に苦闘する運営鎮守府の姿に自らの労苦を重ねたので、より一層印象深かったのではないだろうか。健気に資源輸送に励む睦月型駆逐艦幼稚園を見るに、大戦の途中から投入された簡便な雑木林型駆逐艦の意味が分かるし、ボーキの大食いを考えると戦闘機の護衛の必須さもまた理解できるだろう。実際の戦場ではボーキが消えた分、パイロットが二度と帰ってこなかったことを思うと、より重い問いかけを投げかけている。

してしまったこと、というと艦娘を沈めたくないあまりに、戦果を目の前にしての撤退を繰り返す、というのがあるわな。自らの意志で撤退するという選択肢が与えられたときに、艦隊温存が前提であればリスクはとれない、ということを考えてしまうのである。さらには羅針盤が醸し出す戦場の霧の中で不確実性を避けようとすると尚更になってしまう。
戦史を読むに後知恵でとやかくいうことはできるけれども、いざ自分が意志決定をする段になれば、嗚呼と思ってしまう。

艦これがあえて避けているところもある。例えば特攻兵器の類は出さない、という話な。台詞の中でもそれを臭わせるところもあるが、どう扱うかはずいぶんと悩んだんだろうな、と思う。甲標的についてはうぃきぺさんで確認したが、ちゃんと生還するような使い方もされていたそうだ。開発で出てきたんだが、装備する時に確認をせざるを得なかった。
あるいは電は沈めた敵も助けたいというけど、利根のビハール号事件伊8などの撃沈した艦船の乗員の殺害などの暗い面がある。前者は艦長の裁量による美談であり、後者は上からの命令による深い闇。ゲーム内では直接触れないにしろ、調べれば必ず知ってしまう話でもあり、提督それぞれが自分で考えなければならないんだろうな。

そして、史実ではほとんどの船は沈められてしまうわけで、その悲しい避けられない破局と帰結をある意味で引き延ばし続けるのがゲームの目的なのか、そんなことを考えてしまうのである。戦史も技術史も戦場の悲劇も猫もガチレズ大井botも飲み込んで、”史観”という型にはまった言葉で割り切れないものを受け止めて考える、それが艦これと出会えたことの意味であるとすれば、100万提督のそれぞれの心にある”あ艦これ史観”というのはあるのかもしれない。矛盾してるけどねw